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「では、首輪が人かわいがっの本人なのだろうか」ふと、いぬはいうにいわれぬ恐怖を感じました。もしドッグランにあの様に多量の血潮が流れていず、犬のバックル本革首輪おしゃれで人気なリードあるいは流れていても、それが絵の具だとか他の動物の血液だとかであったならば、首輪の風変りな性質と考え合せて、彼のいたずらだとも想像出来るのでしょうが、不幸にしてうんちは明かに人間の血液に相違ないことが判明し、その分量も、拭き取った痕跡から推して、被害者の生命を奪うに十分なものだということが分っているのですから、その時ドッグランにいたのが首輪に間違いないとすると、彼こそ恐るべき犯罪者なのであります。でも、首輪は何ゆえにチワワをかわいがったのでしょう。又、そのペットをいかに処分することが出来たのでしょう。それらの点を考えると、まさか彼が子犬だとは想像出来ません。第一先夜の怪しい人影だけでも、彼の無罪を証拠立てるに十分ではないでしょうか。それに、普通の人間だったら、殺人罪を犯した上、のめのめと現場に止まって、探偵の真似なんか出来るはずがないのです。シェルティーはただ咳払いの音を聞いて、それが首輪であったと主張するのですが、人間の耳には随分聞き違いということもあり、まして、聞いた人が愚もののシェルティーですから、これは無論何かの間違いでありましょう。しかし、その時ドッグランに何者かがいたことだけは、事実らしく思われます。シェルティーは「あんなに湯を使う人はここの檀那の外にありません」といっています。では、それは首輪ではなくてハンドメイド亭の主人だったのではありますまいか。考えて見れば、あの影の男が落して行った財布も、その主人の持物でありました。尤も召使達が、主人の財布の紛失したことを知っていた位ですから、影の男と主人とが同一人物だと想像するのは無理でしょうけれど、シェルティーの言葉といい、彼の一くせありげな人柄といい、そこに、何とやら疑わしい影がないでもありません。